たまに襲われるこの不快感はなんなんだ

自分が今やっていること、これからやろうとしていることを他人に悟られることが苦手だ。常時ではないがたまにそんなときがある。

 

例えば電車に乗っててスマホで何かを調べているとき、隣の人に「この人こんなの見てるんだ」みたいに思われてるんだろうなと想像すると妙な気分になる(ときがある)。

また、例えばスーパーでカレーの材料のみをカゴに入れてレジに並んでいるとき、後ろに並んでいる人に「この人は今日カレーを食べるんだ」みたいに思われてるんだろうなと想像するとむずむずする(ときがある)。

あとは目的地に向かって進んでいるとき、周りにいる人も同じところを目指しているように錯覚して、早く着かないと並んでしまうなあと思い込んで無駄に早足になる。最後のは少し違うか?

 

人にどう思われようが気にするだけ無駄で、そもそも大多数は他者のことなぞそんなに興味ないということは十分に承知しているが、それでも自分の行動を悟られ得る状況というものに対してたまに不快に感じる時がある

 

これにはどういう心理が働いてるのか考えてみたがしっくりくる説明が思い浮かばず、よくわからなくなってきたので今日はこの辺で。

本を読むことについて思うところ

片道40分ほどの通勤電車では割と読書をしている。一時期は英語学習にはまっていたので学習参考書ばかり読んでいたが、それ以外は小説、ビジネス書、実用書、漫画など気になったものを適当に読んでいる。

 

そんな読書生活(と呼べるほどのものではないけども)を送る中ぼんやり感じていたこととして、ビジネス書と実用書を数多く読むことの意義がいまいちわからない、というものがある。読んでるときはふむふむなるほどこれは色々と捗りそうだなと思うものの、読み終えてしばらくすると内容の9.5割方は綺麗さっぱり忘れてしまう。その一方でとても魅力的なタイトルの本は日々続々と世に出てくるわけで、とてもじゃないがすべてを身につけることは不可能だと思う。本というものとどのように付き合っていけばいいのだろうか。2つ思いついたので書いてみる。

 

1つ目は何度も繰り返し読んで、並行して実践しながら書いてある内容を身に付けていくという方法で、参考書と問題集を何周もするようなやり方に近いかな。

 

2つ目はとりあえずざっと流し読みし、気になった箇所だけを取り入れる方法で、友達と会話してて「これがおすすめだよ」のように耳より情報みたいなものを教えてもらうことがあると思うけど、それを読書で置き換えたイメージ。

 

自分の読み方は1つ目に近いと思う。ただ2周目終わる頃には飽きちゃって他の本に目移りするから結局身に付かずで終わってしまうのが微妙なところ。断片的な知識だけが増えるのでかえって動けなくなってる気がしないでもない。

 

と、ここまで書いて気づいたけど著者の考えの100%を理解して再現することは不可能だと思うので、読んでて気になったところだけを自分なりに解釈して適当に取り入れて、それで物事がうまくいけば継続すれば良いし、駄目ならやり方を変えるかきっぱりやめてしまって他の方法を模索するのがいいんじゃないだろうか。結局のところ何かを行うのに正解は無いことがほとんどなので、2つ目の方法のところに書いたように本の内容をアドバイス程度に留めて、とりあえず試してみようのスタンスがベターなんじゃなかろうかと思う。

 

ビジネス書とか実用書に関してはこんな感じかな。読むこと自体が趣味で目的なら好きなように読めば良いけど、何か他の目的があって手に取ったなら参考にできるところはどこだろうと考えながら読むのが効果的で効率的なのだろう。そう考えると世に言う多読とか速読とかにもそれなりの意義がありそうだ。そしてわざわざ1000円くらい出して本を購入する必要すらなくて、立ち読みで十分なんじゃないかとも思った。

他の人はどのように本を読んでいるのだろうか。

 

ちなみに小説は漫画やゲームと本質的には変わらないと思ってるので読む時はただ楽しむことを目的にして、内容忘れても気にしないことにしてる。むしろ忘れた方が何度も楽しめてお得かもしれない。

挨拶しないよりはした方が良い

今住んでるマンションで、廊下ですれ違うときに挨拶するべきか否かの問題がある。するのが普通なんじゃなかろうかと思い、住み始めて最初の方は挨拶をしていたが、3,4割くらいの割合で無視してくる人がいるのでそのときは普通に気分がよくない。これは精神衛生上悪いなあと思い、次は自分からは挨拶しないことを心に決めた。でも良識ある人は向こうから挨拶をしてくれるので、これはこれで人間性が負けた気がしてやっぱりよろしくない。

 

とりあえず今はすれ違う際に頭を下げて、向こうが挨拶をしてくれたらあたかも初めから挨拶していたかのように被せ気味に発声するようにしている。書いててこれもなんだかなあという感じなので、またどうにか対応方針を決めなくてはならない。

 

別に見返りを求めて挨拶をしているわけじゃないけど気分よく過ごしたいじゃない。こんなことに一喜一憂するのも小さいかなと思いつつ、しかしその時々の気持ちを左右することなので案外馬鹿にできないんじゃなかろうか。

 

最後に3年間でなんとなく把握した傾向を書いて終わりにする。

⚫︎挨拶してくれる人

・30代以下の男性

・50代以上の男性

・夫婦2人連れときの女性

⚫︎挨拶してくれない人

・40代男性単体

 →余裕がない?

・30,40,50代女性単体

 →よくわからない。相乗効果で挨拶してくれる人はとても良い人に見える。

⚫︎その時々

・子供連れ →自分たちの世界に入り込んでたら無反応

 

ちなみにうちの奥様は毎回律儀に挨拶してるが、返されなかったらあとでプリプリ怒ってる。しなきゃいいのにと思うがするのが常識だろうとのこと。確かに。

通帳の記帳をした

住宅ローンを組む際に開設した銀行口座の通帳の記帳を先日初めてした。通帳をわざわざ持ち歩くことなんてないから気付けば3年間ほったらかしだった。口座開設当時、通帳を作らないという選択肢もあったのになぜわざわざ作ったかというと、口座開設の際に銀行の窓口の人に「作った方が便利だからですよ」と言われたからだと思う。

 

通帳なんて使う機会がないし管理するのも手間だから当初は作るつもりなかったのに、専門の職業の人に反対の意見を言われてしまうとそっちが正しいような気がして考えを翻してしまう。セールストークならその是非を検討してから判断するだろうが、単に助言だとか忠告とかだとついつい従ってしまうような気がする。それはたぶん、受け入れなかったことで後悔が生じたら自分の判断が誤っていたことになるので、それならいっそ人の意見を鵜呑みにして、不都合が生じたら周囲のせいにできるという無意識の思考が働いたんじゃなかろうかと思う。

 

何かを決める時は自分で判断するべきなんだろうけど、まだまだ周囲の雑音に振り回されてしまうよなあというようなことを、記帳が終わるのを待ってる間考えていた。

5時起きの生活

朝の方が仕事が捗るんじゃ無いかと思い立ち、5時起き生活を始めて今日で3日目。夜はなるべく22時半には寝るようにしたので睡眠時間は十分なはず。途中何回か目が覚めてしまい睡眠の質という点では良く無いかもしれないけど、今のところ体に不調は感じられなくいい感じである。

通勤客も少ないだろうなーと思ったけど意外といるんだな。みなさん朝に強いのね。

いつまで続けられるかはわからないが、できるだけ継続してみたい。

ふだんの生活における優先順位について

ふだん生活する上での優先順位を考えてみた。

 1.子供と過ごす

 2.睡眠時間

 3.夫婦の時間

 4.自分の時間

 

正直なところ、3と4の順位で悩む。自分の時間を充実させるなどで心に余裕を持っておかないと、些細なことで気が立って喧嘩になる気がする。とはいえ夫婦で会話が無いと家庭が成り立たなくなるんじゃ、、、という懸念もある。

それを踏まえて考え直すと次のようになった。

 1.家族と過ごす

 2.睡眠時間

 3.自分の時間

これで万事OK

 

自分の時間をどう使うのかについても考えておいたほうが良いかもしれない。暇を持て余してだらだら過ごすのも悪くないけど、それはそれで何か疲れる気がするんだよなあ…。とりあえずYahooニュースは見るのをやめてみた。悲惨な事件を目にする機会が増えて気分が暗鬱になるので

子供と過ごす時間について

子供と過ごす時間はあとどれくらいだろうと計算してみるとほんとに僅かなんだなと実感する。平日は仕事があるので平均して1時間(寝てる時間も一緒に過ごしてると考えれば8時間くらい?)、休日は朝8時から夜9時までの13時間、長期休暇を加味すると年間の休日数を120日として、子供と一緒にいる時間は1年あたり1805時間≒75.2日間になる。あれ、思ったよりもあるな?

 

まあ時間はさておき、いつか手から離れて行ってしまう日が来るのは間違い無いので、せめて小さいうちは子供が起きている間はスマホ触ったり本読んだりゼルダしたりせずに、一緒に遊ぶことに集中しようと思った。